20世紀最後の日に思う

20世紀最後の日。来るべき新世紀に向けてゴーショーグンのEDが脳内に鳴り響く今日この頃。そんな今日思ったことを記して今世紀の更新を終了したいと思う。なんて書くと大袈裟だなぁ。どうせ暇だから元旦早々どっか更新してそうだけど。あ、年賀状のページを更新したい。といっても喪中なので変なのは載せないが。

我々の世代にとって、「21世紀になる」ということはわりと重要な節目と考えてる人は多いのではないだろうか。もちろん何とも思っていない人もいるだろう。もしかして今やその方が多い?ああ、そう思ったら寂しくなってきた。まぁいいや。少なくとも私にとって「21世紀」という単語は重要な節目を意味する。

学研の学習を読んでいた時期があった。小学3年くらいだったか。それに「21世紀は君達の時代」といった風な特集が組まれ、未来予想図なんかが描かれていたのを記憶している。学研の学習に限らず、さまざまなメディアは我々子供に21世紀を託し、当時の理想を植えつけてきた。確かに21世紀になる2001年、私は32歳。男三十働き盛り、その先10〜20年は、社会の中心になるべき年齢だ。21世紀を創りあげていくのは、まったく君達だ。あいや、私達だ。

そんな自分が今どうなのか、は後回しにするとして、純粋に人の言うことを信じていた私は雑誌に描かれていた未来がきっと現実化するものと思っていた。自動車からはタイヤがなくなりビルとビルの間に網の目のように敷かれた透明のトンネルを走り、宇宙服のようなモードが一般化し、人型ロボットが人類と共存し‥‥さて、明日には21世紀という今日。残念ながら私が子供の頃描かれていた未来は、21世紀初日には間に合わなかったようだ。相変わらず高速道路は渋滞で悩まされているし、服の流行は何度も時代を繰り返しているし、人型ロボットはようやく二足歩行が満足にできるようになったようなところだ。

そんな今を見、未来に想いをはせていた当時を思い起こし、ちょっと残念に思う傍ら、「いや21世紀ったって向こう100年あらあね」と気づく。いままで理想空想を現実としてきた人類のこと、そう遠くない将来、描かれていたような未来がくるだろう。21世紀は君達の時代だ。なんて今の子供たちに言ってる自分がそこにいる。

もしかして、未来を描くということはそれの繰り返し?なんて思ったりもするのだが、それも真であり偽であり。現実化されなかったこともあったが、20〜30年前の住民が突然今日の東京を見たら、結構未来都市と思うだろう。我々より上の世代は、かなりの空想を現実化してきた。我々もそうしていくだろう。ちょうど切れ目の良い21世紀に期待されて間に合わなかったもの、それは次の世代に受け継がれていく。

10年ほど前、ちょうど成人した頃か。およそ現実化されなそうな未来図をひるがえして「こんなの無理だったよ、ほれみたことか」と言っている10年後の自分を想像していた。が、実際は上記のように学校の先生みたいなことを言っている。そんな自分を「大人になったのか」なんて思う。実は節目として重要なのは世間が未来想像図どおりになっているかどうかではなく、そんな自分自身がどうなのか、である。

子供の頃、未来都市とかロボットとか、そんなものを想像すると同時に、「その時自分は大人になっている」と強く考えていた。大人とは何なのだろうか。子供の私が描いていた大人像、それは「何でも知っている」と「何でも自分一人で解決できる」だった。自分で生計をたてているとか、もっと現実的な大人像もあったが、何より強く感じていたのはこの二つだ。身近な大人に自分の知らないことを問えばすぐ答えがかえってきたし、子供からみて大人は何でも自分で解決しているように見えた。

しかし現実は、まぁこれは私がどうかを公表せずともわかってもらえると思うが、そんなことはない。三十過ぎても知らないことだらけだし、一人で解決できる問題は非常に少ない。これは即ち私の子供の頃の大人像が間違っていたと片づけられるが、私はそうとは思わない。私は今でも同じ大人像をもっている。つまり、私にとって私はまだ子供のままだ。そしてこれまで生きてきたことをふまえると、一生子供だと思う。今もって子供番組が好きだとか、ビデオゲームが好きだとか、それが子供だというのではない。無知の不安と責任に対する恐れがある限り、人は子供なのだと思う。

現実社会の子供と大人の境界線・線引きは異なる。責任の有無、かな?そのへんで強引に大人にならざるを得ない。そういう意味で私はれっきとした大人になっていると思う。が、私が線を引いた大人と子供の境界線はこえていない。

これ、大人と子供というより「仏か凡人か」って考えのような気もする‥そのへんの分別もできない私はやっぱり子供か。なんつって。こういうものをテーマに物を書けといわれて、ちゃんとまとめられるのが大人だとか。あ、それは物書きの定義か。

成人してから思ったのは、大人は「誤魔化し」とか「諦め」という言葉が似合うというイメージがある。それって嫌だなぁ、と思う自分も子供か、なんて思ったり。

うまくまとまらないので、「自分が子供の頃想像していた大人にはなっていなかった」という結論付けをして、21世紀、「大人になった」と思う日が来るのかどうかという問いかけをして締めようと思う。

とその前に、記念すべき20世紀最後の日、自分が何を考えていたかを記しておこう。おお日記っぽいぞ。

  • いないいないばぁっ!のスペシャルと仮面ライダークウガの時間がかぶってる。録画どうしよう
  • 正月休み中にページの更新とかやりたいけど、どういうデザインにしよう
  • 大晦日だから蛍光燈くらい変えようと思うが、天気予報で雨っていってるし、買いに行くの面倒だな

‥‥いつもの大晦日じゃねぇか(苦笑)特別な日なのか何なのかわからなくなってきた。

本当いうと、数日前にしてしまったある失敗について激しく落ち込み、苦悩し、大反省している、という精神状態は特別で、なんとも情けない年末となっているのだが、それ以外はいつもの通りに時が進んでいる。そんな自分はきっと21世紀も変わらないだろうし、まだまだ変えるべきところもあるんだ、と、こういう路線にうつるとうまくまとめられるような気がしたところでこの項了。