コロナッチョ2020

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行によって、生活に制限が求められるようになって久しい。個人的には2月頭くらいから、当時は行動こそ普段通りだったものの、不安で気持ちがざわついていたので、今日の時点でもうそこそこ時間がたっている。
(ダイヤモンドプリンセス号は、過去、偶然出港に立ち会ったりして愛着があっただけに、感染者が確認され横浜に長期間停泊していたときは、このような憂き目にあって本当に心苦しく感じていた。)

2011年の震災のときも、不安などでとても苦しかった。でもどのくらいの期間しんどかったんだっけ?と、当時の日記を読み返してみたりした。あまりつらいことばかり書かないようにしているのもあって、いつからいつまで、のようなことは思いだしきれなかった。でも書き記しておくのは、あとで参考になることもあるなと思い、今のこの特殊な状態での心情を書き留めようと思い書き始めた次第。まぁ最近は、それを公開しなくてもいいんじゃないのと思うようになってきたけれども、それはまた(やっぱり放置気味な:汗)サイトリニューアルのときにでも再考するとして。思いついたことを書き出してみたら、なんとなく在宅勤務の話になった。

□夢の在宅勤務、非常事態下で実現してあらためて気付く、日常のありがたさ

「緊急事態宣言」が発出された4/7の以前より、勤務先ではこの状況を受けテレワークが推奨されていた。私もメールあたりはテレワークで扱える状況だったが、出勤しないとできない作業もあり、特に3月後半は年度末でもあったため、出勤する日が多かった。しかし日に日に感染者が増えるという報道を見、もっと外出自粛しなければと、リモートでの作業範囲を拡げてもらった。具体的にはネットのアクセス制限の緩和になるが、緩和というより、不必要にキツかった制限を正してもらったという内容。

在宅勤務は実は、かねてから望んでいた働き方のスタイルだった。ともかく朝が苦手で。今年はオリンピックでテレワーク推進されるかも?されないかも?なんて思っていたけれども、このたびの対応で図らずも理想の環境となった。
「苦手な朝に、混雑する通勤電車に長時間乗車」が回避できるだけでも相当嬉しいはずなんだけど‥人というのは良いことより悪いことのほうの印象を大きく受け止めてしまうもので。いざ理想の環境になっても、ウキウキするどころか、毎朝どんよりしていることの方が多い。なんなら「長時間通勤できず『さぁ仕事するぞスイッチ』が入れられないのがツライ」という、真逆の発想にまで至っているところに苦笑い。いや、長時間はやっぱりイヤなので、短時間にしたいってのはあるけど。

朝苦手問題は別として、在宅勤務=通勤時間分など自由時間が多くとれる、といった目論見も含めて理想の環境と考えていたんだなと、外出自粛が求められる状況ではじめて気付いた。良いことより悪いこと、つまり自由時間がとれても、遊びに行ったりできないというのは、かなりしんどい。
○短時間でも毎日ドライブゲームをプレイし、多かれ少なかれ達成感を味わうことで保たれる精神的安定
(空間や操作部の接触問題などで、この状況下ではもともと行きづらかったゲームセンターもついに休業が増え、行くに行けなくなった)
○以前はパスネット購入をきっかけに導入各社局エリアへ赴いたり、最近ではアプリなどをきっかけに見知らぬ街へ訪れるなど、「小旅行」の楽しさ
(電車は動いているし、移動なら車という手もあるけど、訪問先の施設が営業していなければ魅力激減)
○ここ数年で目覚めた、ラジオなどの屋内外イベントの楽しさ
(イベントはほぼ全てが中止や延期)
○今の時期なら桜を愛でるなど、出かけることで季節を感じるといった何気ないこと
(年齢的によくわかるようなってきた)

(小旅行やイベントなんかは、テレワークと関係なく休日の余暇だけど、いまはそれもできないので一緒に並べた)
そういったことができず、ただただ自宅にいるというのは、想像以上にストレスだった。若い頃だったら「ずっと家でビデオ見放題ゲームやり放題」と喜んだかもしれなくて、今もその用意はある(笑)自宅だけど。体力のなくなった今となっては、適度に出かけたりして気分転換しないと、ホントにやっても1〜2日で音を上げそう(笑)。

外出自粛といっても、今のところコンビニやスーパーへ行って買い物はできるし、電車等で移動ができない訳ではない。
(そういう生活基盤を保つよう、この状況でもがんばって働いてくれている皆さんには感謝)
でも、用事がないので我慢している。つらいからと細切れに出かけては、緊急事態の意に反してしまうし。

朝ドラ「瞳」の最終回、近藤正臣演じる若山さんの「平凡で何でもないことっていうのが、どんなに大事かってことがよくわかりますね」という言葉で、ドラマは幕を迎える。あ、そのあと謎の「行ってきますサムズアップタイム」があるかってそれはともかく(笑)。平和に暮らせているとき、私は定期的にこの言葉を思い出して、その時を感謝してきた。今のように日常でない何かがあったとき、この言葉の重みはより一層感じられる。在宅勤務も、平凡な日常があってこそ理想のものとなる。その日が一日でもはやく訪れるよう、今は我慢のしどころである。

とはいえ我慢我慢の毎日は、精神的にもだけど、肉体的にも運動不足になってしまう。なので一昨日くらいから、iPhoneでいつでも再生できるようにしておいた「みんなで筋肉体操」をはじめた。短時間で体がプルプルしているけど(笑)何もしないより気分はよい。こんな状況も好機と考えてやっていかないと。

散歩がてら近所の神社へ祈願しにいこうかと思ったけど、もしかして人が集まるとしてそれもためらわれるのかな?なんて思ってしまった。
新型ウイルスというのは、どうも手強いね。
神社の前まで行って、人があまりいなかったら高速で事態の早期収束をお願いしてこようかな。

余談:それにしても「コロナ」のネーミング問題は今でも心苦しい。
 トヨタの昔の車とか(そういえば私が教習所に通ってた頃の教習車がコロナだったような気がしたけど、たぶんカリーナ)
 エアコンやストーブの会社とか
 東海が本拠地のワールドな複合型娯楽施設とか
 ウルトラマンコスモスの強さのほうのモードとか
話題にしづらいよね。せっかくCOVID-19という名前をつけてもらっても、読みづらいからか口語としてはあまり表に出てこないし。まぁ、コロナウイルスという名称のほうが歴史があるかもと言われたらそれまでだけど‥後先の問題じゃないか。