確信犯と愉快犯

世間一般が意味を間違えて使う言葉の代名詞として「確信犯」がある。いや、今となっては「あった」と過去形か。過去形であるということは後で出てくるのでちょっとおいといて。周りが一様に間違えて使っているから、ついつい自分も間違った意味で使ってしまいがちだけれども、本当の意味は違う。言葉本来の意味は大切にしなければならない、だから間違っているということを忘れず、正しい意味で使おう。「確信犯」について、私は常々そう思ってきた。

「確信犯」というのは、自分の行うことが正しいという確信をもって、でも結果として犯罪となる行為のことである。ただ、そういうのって軽犯罪でもないし、私が世の中に出てからもあまり聞かない。正直なところ「確信犯」という言葉を、本来のその意味で使ったことってほとんどなかった。

対して、周り(および自分)が間違って使っている「確信犯」は、そのことが悪いことだと確信していながら、ついついやっちゃった悪い行為のこと。「確信」の意味が違うのである。しかしながら、私の年代でも「確信犯」といえばこっちのことで、この語を聞くとまずそのイメージが沸く。ついついやっちゃった、と表現したのも、犯罪とまではいかない軽いことがらに使われることが多いからで、身近な存在の言葉である。

身近な故、「イヤこの意味は違うんだ」と思い直すことが多かった「確信犯」。しかしついに、言葉の意味は公式に変わりつつあるようだ。以下は大辞泉からの引用。

かくしん−はん【確信犯】
(1) 道徳的、宗教的または政治的信念に基づき、本人が悪いことでないと確信してなされる犯罪。思想犯・政治犯・国事犯など。

(2) 《(1) から転じて》悪いことだとわかっていながら行われた犯罪や行為。また、その行為を行った人。「違法コピーを行っている大多数の利用者が−だといえる」

◆「時間を聞きちがえて遅れたと言っているが、あれは−だよね」などのように、犯罪というほど重大な行為でない場合にも用いる。(2) の意はもともと誤用とされていたが、平成14年(2002)に行われた文化庁の世論調査で50パーセント以上の人が(1) ではなく(2) の意で用いると回答した。

日本語の意味は変わる。辞書をひくと、完全に変わってしまった訳ではないようにとれるけれども、実際(1) のような犯罪や犯人を目にする機会がなくなっていくとすると、もうこれから「確信犯」といったら(2) の意味のみになるかもしれない。ちょっと切ない気持ちになるけれども、それも言葉の定めだし、そもそも「確信犯」の元の意味にそんなに思い入れもない訳だから、時の流れに身を任せるのもまた一興‥なんて。ホントのところは、「誤用なんだ」と結構長い間がんばり続けてきた自分の姿勢を否定されてるみたいなのが切ないのよネ。まぁ、元の意味を大切にしようとする精神は忘れないようにしたい。「確信犯」の他、夫が自分の配偶者を差して「嫁」と呼ぶことについても、最近は「みんなそう言ってるから」よしとする風潮もあるようで。これもね、一生懸命「誤用」しないように気をつけてきたのよ。切ないなぁ(笑)。

‥と切ない締めをするのがこの駄文の目的ではなくて、犯といえばもう一つ、「愉快犯」。同じく大辞泉からの引用。

ゆかい−はん【愉快犯】
世間を騒がせて快感を得ることを目的とする犯罪。また、その犯人。

こちらは世間一般でも誤用していることはない様子。なので私だけかもしれないけど、どうもこの「愉快」という言葉のイメージを取り違えて感じてしまうのだ。愉快犯の「愉快」は、やったことを犯人が愉快に思っている、の愉快である。しかし、「愉快な人がおもしろおかしくやっちゃったこと」と思ってしまうのだ。以下はどこからの引用でもないが、もし付け加わるとしたら‥

(2) 《(1) から転じて》買い物をしようと街まで出かけたが、財布を忘れるような性格の人が行う犯罪。また、その犯人。「−でございまぁす」

‥こうは付け加わらないと思うけど(笑)、日本語の意味は変わるんだから、可能性がゼロとは限らない。サザエ世代が社会を担うようになる頃、「愉快犯」の意味はもっと愉快〜に、ルウルルルルッ・トゥーになっているかもしれない。いや、ないか。だいたいサザエ世代ってどのへんだ。と同時に、いつもヘンなネタにしちゃってサザエさんごめん。