門外漢駄文2007

新教育の森:子どもの学力、現状を聞く ゆとり教育で成績落ちぬ−−有馬朗人・元文相 - 毎日jp(毎日新聞)


「ゆとり教育」の提唱者・有馬元文相のインタビュー記事。ゆとり教育によって成績は下がっていないとしながらも、「ゆとり批判の大合唱は苦々しく受け止めている」ってあたりでジーンときてしまった。


2002年からはじまった今の学習指導要領、その検討の話題などは、今と同様開始の5年前くらいから報道などされており、学校放送を熱心に見ていた当時の私は、放送にどう影響があるかという視点で門外漢ながらも(当時の)新学習指導要領を読んだりした。その後、実際に新しい学習指導要領が適用される前後でもいろいろ思うところはあったが、特に心配していたのは現場の混乱。「総合的っても何していいのかワカラン」てな声が、門外漢の私にも聞こえてきていた。羅針盤とかでも言ってたからね(笑)。あれから5年、どうもそのあたりで心配していたことが学習効果に現れてしまっているようで、それが批判に繋がっているのだろう。


教育については永遠のデフォルトプレイヤー(どっかで聞いたフレーズ)である私は、相変わらず昨今の教育事情を詳しく知る訳ではないが、叫ばれているゆとり教育の見直しとは「ゆとり教育のマニュアル化」、ではないかと門外漢なりに見ている。総合的な学習で良い効果を得た例も出ているのは確かだろうし、まったく否定できないことでもあろう。しかし全てがその例のようにうまくいかない。細かいことを現場に任せると教師・学校によって差が出やすく、結果全体の平均値としては下がってしまうのだろう。この先求められるゆとり教育とは、教える側にゆとり(というか余裕というか)を与えることだ、と叫ばれているように感じる。


私はゆとり教育そのものが悪いとは思わない。しかし、詰め込み教育を受けた挙げ句、知識が「ざる」のように抜け落ちた、記事にあるような人生をおくってきた私の世代からすると、ゆとり教育は正直甘く感じる。じゃあ詰め込み教育が良かったかというと、世に出ている当時の子供=今の大人を見ればわかるとおり、OKではないんだよね。この10年で出てきた良い点・悪い点を見直し、より良い指導要領ができればと思う。多分、その時は「ゆとり」という表現は変えた方がいいかもね。今や場所によっては差別用語化してしまっているし。


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5年ほど前といえば、一番心配した「学校放送への影響」は、過ぎてみるとそんなになかったのかな、と今の番組一覧を見渡して思った。トゥトゥや歌リコのような音楽番組がなくなったとか、私が熱心に見ていた当時から変わったことは細かく言えば多々あるが、極端な話「全部総合」化するのでは、みたいに思っていたから、その予想に比べれば変化はないほうであろう。思いのほか教科別それぞれで今も充実していると思う。

ニュースや新聞記事と学校放送を眺めているだけで、今の教育現場がなんとなくであれ掴めるというのは、素人にしてみるとおもしろいなぁ、とあらためて思った。


私が学校放送をほとんど見なくなったのもちょうど5年ほど前。これは趣味が他にうつってしまったからで、学習指導要領もゆとり教育も関係はない。番組編成にも影響はあったから、全く関係なくもないが。で、ニュースなどで学習指導要領とかの話題が出るたび、当時の混乱や心配事を思い出す。あの頃は道徳ドラマおもしろかったなぁとか(笑)。今年度は朝ドラ「ちりとてちん」に、私の求めるドラマ要素が活用されているのでまだいいけれども。3組再放送連発は寂しいな〜。現場はともかく、道徳ドラマの復活だけはなんとかしてもらいたいものだ。と、やっぱり本筋とは無関係な、欲求全開な締めでとりとめもなくこの項了。