復刻企画:ギャバンに何が起ったか

以下の内容は、今から約20年前に私が友人と二人で作っていた同人誌「GUILTY」から抜粋したものである。「GUILTY」は一応、特撮系の同人誌のつもりであったのだが、その内容の大半はおよそ関係のないことを書き殴っていた。そんな中で数少ない特撮関連ネタである。と思う。なんで突然こんなのを、といったことは本ページ後半に言い訳してるのでそちらを参照のこと。本文中の誤字脱字・ひらがな多め(苦笑)は元原稿のまま掲載しているのでご了承いただきたい。


[GUILTY VOLUME FOUR(1986年3月16日発行)より]

ギャバンに何が起ったか

一瞬にしてカレー屋からラーメン屋へと変わってしまった「ギャバン」。
いったいどんな秘密がかくされているのか![本名]がその謎にせまる!!

■ 駅北に「ギャバン」!?

1985年春、高校生になったばかりの私([本名])は、国鉄沼津駅北口前に「ギャバン」の四文字を見つけた。
「んん〜蒸着!!」
私はこう大声でさけびたかったが、はずかしいので小声でささやいた。

カレースタンド・ギャバン。カレー屋さん・・・この世に生をうけてから15年、こんな所へは行ったこともなかった私は日をあらため、結意を新たにしてから店内へ突入することにした。

そして5月のある土曜日。私はギャバン突入に成功した。店のふんいきから、宇宙刑事とはかけはなれた関係だろうとうすうす感づいていたが、やはりそのとうりであった。だれもがここで絶望したであろう。

店内には風変わりのサラリーマンが一人、週刊誌を読みながら黙々とカレーを食べていた。先ものべたように、カレー屋などに入ったことのない私は、ポークだの何だのと言われてもいまいちピンとこないのであった。そんな私が注文してしまったカレーは「ツナ&エッグカレー」であった。

カレーができるまで少し時間があるのでサラダが出された。しつこいがカレー屋に行ったことないのでどうしたらいいかわからず、手をつけずにおいた。

そしてできた「ツナ&エッグカレー」を見て私は失望した。とろみのないカレーの上に目玉やきとシーチキンがのせてある。ここでやっと名前の意味を知った。私は人生に終りを感じた。

とりあえず一口食べてみることにした。しかし、この直後、おそるべき場面に直面するとは思っても見なかった!
(ちゃららら〜〜〜ん ちゃん!トランスフォーマー調で)

サービス券
一食たべるともらえたサービス券。当時はこんなものを発行する余裕さえあった。ギャバンは沼津駅のわたり道に看板を出せるほどであったのだが…

あつい!できたてのカレーのあつさがこれほどのものとは知れなかった。完璧に舌をやけどした。しかし、ここで水を飲んでは男がすたるとばかり、もう一口をおもむろにほうばった。すでに味覚は無くなっていた。

舌がなれてきたとはいえ、カレー専門店のカレーの辛さといったら‥‥。食べおわるまでに30分かかってしまった。

サービス券をもらって初めて気付いた。
「ポークカレーってのが普通のカレエだったのか…。」
ちなみにツナ&エッグカレーは500円であった。

■ ギャバンの概要

この名を聞いただけで、ヒーローファンは胸おどらせるという「ギャバン」。カレー屋ギャバンとはいったいどういった店であったのだろうか。

オレンジ色のひさしに「カレースタンドギャバン」といかにも若者うけをねらったような字でかいてあるのだが、その他もろもろの看板は見るにたえない字で「ギャバン」と書いてあり、ここで「宇宙刑事ギャバン」との関係が絶たれている。店内は明るいが意外にせまく、一応テレビがあるが誰も見ていない。日立の冷蔵庫の上にある「GABAN」スパイスの数は知れず、意味のなさをもの語っている。店内には「宇宙刑事ギャバン」のおもかげすらないのか…とがく然としていたが、考えてみれば、スパイスギャバンの缶の色は銀色で蒸着している。一応店内には無数のギャバンがひそんでいたのであった。

ランチタイム(11時〜13時)に行けば、アイスコーヒーがついてくるが、私は、カレーとアイスコーヒーがあうとは思わなかった。(思わず最後に一気飲みしてしまった。)

■ 何故にラーメン屋

ギャバンとの遭遇があってから9ヶ月。私は久しぶりにギャバンを見学しに行った。しかし、そこにあったものは、以前のおもかげを大量に残しつつもこつ然とそびえる「ラーメン屋」ギャバンであった。

ラーメン・餃子ぎゃばん亭。この変化を見て、誰もが思ったであろう。
(ラーメン屋ならいける!)

1986年3月7日、私は500円をにぎりしめ、今やラーメン屋と化したギャバンへと突入したのであった。

■ 蒸着されたラーメン

私が店に入ろうとすると、店の中から無表情な青年が出てきた。カレー屋あがりのマスターの作ったラーメンというのはいったいどんなものだったのだろうか。青年がそのすごさをもの語っていた。

さすがにカレー屋の時よりは気軽に入ることができたが、店内には誰もいなかった。(客が)
「ララララーメン下さい。」
ついどもってしまったが、ツナ&エッグカレーのようなまちがいをしなかっただけでも、今回の冒険は成功したといえる。

前のランチタイムサービスはアイスコーヒーであったが、今度はなんとゆで玉子(一個50円相当)であった。しかし、ここで私は恐怖のどん底におとしいれられたのだった!
(塩がない‥)
しばらくさがして、あったことはあったのだが、座ったままでは手のとどかない所にあったのだった。それを立ってとればいいものを、すぐプライドをはりたがる私は、何と塩なしで食べるという、天地創造の神さえもおどろくような行動をとったのであった。私はここで声を大にして言いたい。まずい!

店舗写真
ついにラーメン屋化してしまった「ギャバン」。ひらがなで「ぎゃばん亭」と書いてあるところが涙をさそう。ひさしの「カレースタンド」がスプレーでけされているところが生々しい。

そして待望のラーメンが出来上がった。カレーの時を再現してはいけないとばかり、ちゃんとふーふーして食べた。一言、
「うまい!!」
などとは決して言えなかった。そのへんの屋台のラーメンとさほどの変化はなかった。「前がカレー屋だからカレー味」などという勝手な想像とは違ったことだけがゆいいつの救いであったかに思えた。麺類に異様な執着心を持つ私ははしを投げ、
「やっぱりカレー屋のなりあがりだな!」
とさけんで店を出た…なんて大それたことはせず、スープを少しのんで400円払って店を出た。さすがにもうサービス券の発行は断念した様だった。ちなみに他のメニューは、みそ、チャーシューなどがあり、さすがにカレーラーメンはなかった。

■ FOR EVER ギャバン

私は「ギャバン」のマスターとのインタビューに成功した。苦労したせいか、マスターの頭は少しはげていた。
「なんでラーメン屋にしたんですか?」
「いや〜、やっぱりカレー屋ってのはいまいちうけなくてね。もう少し大衆向けにした方がいいと思って。」
「この辺の若者はみんな宇宙刑事を期待していますよ。」
「そう思って、これを用意したんですけど‥‥。」
といってマスターは雑誌の切りぬきのギャバンの写真を出した。
「これで大入りまちがいなし!」
私はあきれて外に出た…というのはすべてうそだが、カレー屋が大衆向けでないというのは当っていると思う。

あそこがいまいち人気がないのは、
・場所が悪い
・値段が高い
・うまくない
の三拍子がそろっているからだと思う。

これらの弊害にもまけず、あのマスターも一人でよくやってるなと思います。これからもがんばってくださいね!また品が変わったら行きますから。

(昭和61年3月11日執筆)

締めイラスト


本文中にもあるように、これを書いた当時私は現役高校生。それもその歳のワリに右も左もわからない、世間知らずの小僧だ。そんなヤツが書いたハズカシイものをなぜ突然こうやって公の場に晒しているかというと、最近カラオケでギャバンの歌を歌った時に「むかし沼津にカレー屋ギャバンってのがあってね」なんて話したのがきっかけで、当時出してた同人誌に記事風に書いたと友人に言ったら是非読みたいというリクエストがあって‥といういきさつ。ちょうど20年ほど経過しているという、アニバーサリーチックな意味合いもあったりして。

GUILTY見開き写真
実際の誌面はこんな感じ(A4見開き2ページ:もちろんオール手書き)
こんな本、誰が買うかっ!(笑) それでも当時は、少数ながら熱心な愛読者がいてくれたから驚き。


しかし、私自身もこうやってテキストにおこし直すに当たって久しぶりに読んでみたけど、いや〜言い訳したいことはいっぱいありますよ。「ネタの落とし方が(ボキャブラリーが今以上に貧困なので)甘い」とか「『そのへんの屋台の』というわりに、屋台なんて行ったことなかったクセに」とか「最後の三拍子ひどいな〜オイ」とか‥書き出したダメ出しをこと細かに解説していきたいところなんだけど、それも恥の上塗りというか、醜態はそのままにしておくことにする。でも、文章の組み立て方というか、表現のし方なんかはこの頃から変わってないな〜なんて思ったりして。「(麺類に)異様な執着心」って、こんな頃から使ってたんだなオレ。自分のスタイルを当時から確立していた!なんていうとカッコよく聞こえるけど、要するに10代の頃から進歩がないと(笑)。

ただ、醜態を晒すにしても、誌面の都合上本文中に書ききれなかったなかった補足事項は、思い出せる限り列挙しておく。誌面の都合ったって単に書くのがめんどくさかっただけだけど。

  • レポートしたきっかけ
  • 「カレースタンドギャバン」は、当時の特撮仲間のあいだで既に「行ってみた」などと話題だった。簡単なレポートが、先輩が自分で出してた本に記載されたりしていた。それに触発を受け、通学最寄駅にあるということもあって「代表して詳細レポートを!」と意気込んで製作にあたった次第。でも、レストランとか一人で行ったことがないので当時は大緊張。だったらその先輩に連れてってもらえばいいのにね。

  • カレースタンドギャバン補足
  • メニュー(種類)が豊富だった。カレーだけなのに20種類くらいはあったように記憶している。何にするか真剣に悩むほど。結局、私がタマゴ好きだから「ツナ&エッグカレー」を選択。
    記事は「ギャバン=宇宙刑事 が当然」という視点で書かれているため大変お見苦しいことになっているが、まわりがそんな人ばっかしだったからネ。店名の由来は、関係者に聞いた訳ではないので推測にすぎないが、あきらかに「スパイスギャバン」であろう。当時はあまり一般には知られていなかったんじゃないかなぁ?今はハウス食品からも販売されていて、スーパーとかでも売ってるので知っている人も多いと思う。

  • ラーメン・餃子ぎゃばん亭その後
  • それほど頻繁にチェックしていたワケではないが、カレースタンドより長い間営業していたように記憶している。その後おでん屋になることもなく閉店してしまった様子。何年か後に見に行ったら、まるで別種の店になっていた(もちろんギャバンではなし)。ちなみに「マスター少しハゲた」というのはもちろんウソなので念のため。
◆◆◆

約10年前、NCSA Mosaicで世間の「ホームページ」を見てまず思ったのは、
「これは印刷しなくていい同人誌だ」
まぁ、当時は個人製作のサイトがほとんどで、自分の好きなカテゴリのものばかり見ていれば、そう思うのも当然っちゃ当然かも。同人誌、販売してみたけど儲けなんてないし(むしろ赤字)、そもそも収入を見込まない創作活動・自己表現の場という意味で「ホームページ」に共通したものを強く感じたんだろう。

同人誌を出してた頃から、自分がおもしろいと思うことを何らかの形で見てもらいたかった、という願望はあったんだと思う。その点では、スーバーの文具売り場にある10円コピーを占拠して両面コピーをしまくらなくても、ポンと置いておけば全世界に公開できるんだから、楽チンな時代になったものである。というと同人誌がすべてWebサイトに変わってしまったように聞こえるけどそうではなくて、あくまで私にとって、のこと。ちょっとやってすぐやめた同人活動的なことを、Web系の仕事に携わってしまったばかりにいまだ続けている、それがよかったのか悪かったのか、多分よかったんだろうな。ということにして(笑)この項了。