たまに笑いを考える

10年来の友人が作成・公開しているWebページで、私の文章がおもしろいとえらく誉められた。いやいや〜私なんてまだまだひよっ子、とか一応謙遜しながらも実は天狗の如く高鼻化、勢い余って高下駄も履いちゃった。というのはウソだが、あまり誉められるというのはこっ恥ずかしいというか、でも嬉しいものである。

日記である友人のその内容を要約するとこんな感じである。

  • 私は普段作成するHTML文書で文字装飾をほとんどしない。
  • 安易な文字装飾にたよらず、キチンとした文章で内容を伝えようとつとめている友人は、私のこの姿勢に同意。
  • もし私がハデな文字装飾を使ったとしたら、それは文章に自信がなくなっての「逃げ」である。

確かに私は文字装飾の類いをあまりしない。その理由は友人自身もつとめている「文章で内容を伝え」ようという姿勢、まさにそれである。いまの私の文章が実際にそうなっているかというと、まだまだと自己評価するが、文字装飾や顔文字、括弧書きなどはなんとか使わない方向でがんばっている理由はまさにそれである。括弧はなかなか減らないけど。

で、その友人の日記の内容にはほとんど異論はないんだけど、一点だけ、ちょっとそれは違うんじゃない?という記述があり、意見をメールで送ろう‥と書き出したらえらい長文になってしまった。かみさんが横で見ていて「それじゃ嫌がらせだよ」とポツリ。まったくその通りだと思ったので、メールでは要点だけ書いて、自分のページに長文を置こうという訳でこれを書いている次第。

◆◆◆

私と友人との共通語として「音逃げ」という言葉がある。おもしろいネタを言い合っていて、ネタに行き詰まった時、擬音や奇声の類いを発して逃げる。音の方向で逃げるところから「音逃げ」と命名した。私の中ではもうひとつ、音をベースにしたものすごくしょうもない駄洒落を差しても「音逃げ」と呼んでいるが、まぁ、どっちもどっちだ。

「音逃げ」にはしった時、それは自分のネタに行き詰まった、まさに「逃げ」の行為であり、恥ずべき行為である。と友人は記している。その記述はまったく間違いではないし、その的確な表現に惚れ惚れした。

このような「音逃げ」の解説の後、友人はこう続けている。

ところで、Webにおける文章系サイトの一形態として、俗に「フォント弄り系」と呼ばれるのが存在する。有名な「侍魂」に代表されるサイトで、文章の一部の文字を極端に大きくしたり、派手な色を付けたりして強調する技法を用いる。

前述の友人が書く文章は、装飾が最小限度のものに抑えられている。というか、通常は装飾がない。しかし充分に破壊力を持つ文章を書けるのである。では、「フォント弄り系」サイトの文章における装飾は何を意味するのか。

これは「音逃げ」だな、と私は思った。「フォント逃げ」とでも言おうか。もし友人がこの「フォント逃げ」を使ったとしたら、それは彼の悔しさ・恥を表すものなのだろう。(以下略)

この下線で示した部分を「それはちょっと違うのでは」と思った。「フォント弄り系」のサイトオーナーがフォントをデカくしたり色鮮やかに文字を飾ったりしているのは「逃げ」だ、と読んだのだが、その解釈が正しければ、それは私としては訂正の意見をしたい。

私や友人のように、常日ごろから文章の内容で勝負したいという態度を示していながら、突然フォントを弄りだしたとしたら、それは「フォント逃げ」と呼んでもいいかもしれない。しかし、「フォント弄り系」サイトにおける弄り行為は、むしろ能動的に、自信満々に、胸はってやっているはず。決して「逃げ」るためではないと思う。ではなぜ激しい文字装飾をするのかというと、「ここがこの文章の中でおもしろいところですよ」というのを、目立つ形で読み手に訴えているのである。

これは、忙しい現代人に対して文章のポイントをピックアップすることで、全文読まなくても概要がつかめるようにする親切‥ともとれるのだが、残念ながら「何がおもしろいことなのかわからない人に、笑うところを指示している」というのが実状だろう。

テレビのバラエティ番組等における「笑い屋」とか「(近年の)字幕」を思い出してもらいたい。これらのでてきた経緯や、本来の用途とかは、実のところ調べていないのでわからない。ただ、笑い屋が笑ったり、字幕が出るところが笑うところなんだという、視聴者に対する指導になっているのは確かである。現代の多くの人、特に(我々の世代を含む)若い世代は、本来のネタではなく、笑いの提供側の裏方がわかりやすく指定した部分で笑っていることがほとんどだと思う。何がおもしろいのかを自分で探さない、笑いとは教えてくれるものだと。だから笑い屋や字幕がかかせない、そのWeb 版が「フォント弄り」なのだ、というのが私の説なのだが、どうだろうか。

テレビ番組における笑い屋や字幕について、それが使われるだけで嫌悪感をおぼえる人もいると思う。私も結構そう主張してきた一人なのだが、最近は(丸くなったのか)そうでもないと思うようになってきた。笑い屋にしても字幕にしても、非常に効果的に使われる場合、それ自体がネタになりうるのだ。だからそこで笑うのも恥ずかしいことじゃないのでは、と。

「フォント弄り」していてもおもしろい文章はある。それは、フォントの弄りっぷりが適切だからだ。そういう文章は、装飾を一切なくして読んでもおもしろい。それを更に装飾することで、おもしろ度がアップし、読み手は爆笑に至る訳だ。

乱立する「フォント弄り系」が忌み嫌われ‥てるのかな?よく知らないが、そうなんだとしたら、フォントの弄り方が適切ではないからではなかろうか。強調される単語は、書いている人がおもしろいと思うところ。それが全然おもしろくないところだったりする。あんまりズレていると逆におもしろくなったりすることもあるが、それも何というか、「寒い笑い」というか。きっとそういう人は、おもしろいフォント弄り系サイトをみて「フォントをデカくすれば文章がおもしろくなるんだ」と思ってしまっているのだろう。故に、文章そのものの質に問題がでてしまっている、と言えなくもない。

◆◆◆

‥とここまで書いていて、あまりおもしろくない「フォント弄り系」の文章を自分で作ってみたくなった。悪趣味だなぁ。「課題」としてネタの骨子を定義し、それをフォント弄りで表現してみようと試みた。

【課題】

あなたは自身のWebページで毎日日記をつけています。主にその日1日で印象に残った出来事をおもしろおかしく紹介しています。

今日1日で一番のエピソードを概要で示すと以下のようになります。この内容をページに載せるためにHTML化してください。

『ネット通販の支払い(¥9,980)をしにコンビニへいった。財布には1万円札1枚が入っていると思いこんでいて、レジで財布の中の紙幣1枚を差し出したら、実は財布に入っていたのは千円札1枚。ここで恥ずかしい思いをした後、コンビニには銀行のATMがあるのを思い出し、1万円をおろして無事支払いできた。』

【悪い回答例】


今日、こないだネット通販で買ったもの(何を買ったかは、ナ・イ・ショ☆)の支払いをしにコンビニへ行った。
近所にあるのはセブンイレブンなのでそこへ行った。

セッブンッ イレッブンッ いい気分ッ♪(ぉ
(別に歌いながら行ったわけではない)

「9980円で〜す★」
僕は財布に1枚だけ入っているはずの1万円札をレジのバイトの女の子に差し出した。
しかし、バイトの女の子はこう言った。
「あのう・・・9980円なんですけど・・・(-_-メ」


・・・・・は?1万円札を出しているのにどうして聞き直されるのだ?
で、僕が出した札をよく見てみたら、

「せ、せ、千円???」(^^;;;;;;;;

財布に1万円札1枚入っていると思っていたのだが、実はそれは千円札だったのだ。

ガチョーン。(ぉ

ここで僕が赤っ恥をかいておわったかというと、そうではない。そうとも言うが・・・(ぉ
いまコンビニには24時間利用できる銀行のATMがあるのだ。
ちょうど他の客もいなかったので、バイトの女の子にちょっと待ってもらい、1万円をおろして無事支払うことができた。

いやー、世の中便利になったものである。
よって、今日の一言。



コンビニ万才!!!!!



いじょ(w

‥‥‥‥おぉ、新たな人格が覚醒(ウソ)。「(ぉ」とか「(w」の使い方って間違ってない?

もしこの話題に興味をもったなら、この「悪い例」のどこが悪いのか、自分なりに考えてみてほしい。「え、おもしろいじゃん」と思った人、ま・まぁ、それが悪いということではないので‥。

ひとつコメントするとすれば、文字装飾や「(ぉ」とかを使っていることが必ずしも悪なのではない、ということ。それらの使い方を考えると同時に、本文そのものも「どうしたらもっとおもしろくなるのか」と考えることが大切だと思う。

で、いくらなんでもこのままでは「シマヤンはこういう人になったのか」と思われてしまいそうなので、今の私が書いたとしたらどうなるか、一応作ってみた。

【私の回答例】


先日ネット通販で購入したハードディスクドライブの代金を支払いに、会社の帰りにコンビニへ行った。まだネットでのカード決済には不安があるのでコンビニ支払い。しかし、Webサイトで何度かクリック〜とかするだけで通販の注文ができるのも既にかなり便利であるのに、銀行や郵便局の窓口の時間を気にせず、24時間やっている近所のコンビニで安全に支払いができるんだから、世の中便利の上限なしかと思わざるを得ない。

支払う金額は¥9,980。確か財布に1万円札が1枚入ってたよな〜と、よく確かめもせず入店。いつもはビックリマンチョコなどの誘惑に負けて余計なものも購入してしまうのだが、今日は1万円しか持っていないので、下唇が真っ青になるまで噛んで我慢。レジの女の子に支払票を差し出し、断腸の思いで1万円札を差し出した。

って、そんな思いをすんなら昼間のうちに銀行へいって小遣いおろしとけよ、と言われそうだが、その銀行に行ってる暇がないんだから仕方がない。そもそも、そうであるからネット通販もコンビニ支払いなのだ。さて、そうこうしてるうちに勘定は終わったかな〜ん、と陽気にレジの様子を伺ったら、何やらレジに不穏な空気がたちこめていた。
「あのおー、9,980えんー、なんですけどぅおー。」

まさにいまどきのギャル風なレジの女の子は、ふてくされた様子でこう言った。ただでさえ恐い顔が鬼の面のようになっている。やばい。しかし私に落ち度はない筈だ。ホラちゃんと1万円出してるでしょう、20円のおつりは‥‥‥

って、出てるの千円札じゃん。財布に入っていたのは1万円札1枚ではなく千円札だったのだ。自らの貧しさの認識が甘かった。トホホぉ〜!!

と、弱っている場合ではない。支払いキャンセルしてもらえるのかなぁ‥と大いに年下のレジの女の子にヘコヘコしようと思ったその時、ふとあるものが目にとまった。銀行のATMである。

最近では、私が利用するほとんどのコンビニに銀行のATMが設置されている。手数料等々のこともあり多用はしないが、何より24時間やっているのは、いざという時本当にありがたい。

という訳で支払いの方は、ちょうど他のお客さんがいなかったのもありレジの鬼ギャルにちょっと待ってもらい、ATMで1万円おろしてあらためて支払うことができた。面倒なことにならなかったのもあってか、鬼ギャルは小鬼くらいに戻っていた(迷惑かけといてひでぇ)。

コンビニがどんどん便利になってるなぁとはいつも思っていたことだが、その便利っぷりを身にしみて感じた一件であった。無事支払いができてホッと安堵。実をいうと、銀行の口座に1万円あったことが一番ホッとした(貧)。


こんな感じですよね私って。これはあくまで私の回答例で、「正解」ではないので念のため。

◆◆◆

笑いとは何なのか。おもしろいとはどういうことなのか。私は常にそれを考えている。自分にとっての「おもしろいこと」は、コロコロかわりながらもその方向性は把握しているつもりだ。しかし、本当は何が「おもしろい」ことなのかわからない、そんな人って結構いるのではないだろうか。

笑いとは自分で探しに行くものであって、与えられるものではない。「最近おもしろいことなくてー」と悩んでいる人、おもしろいことは結構身近に転がっているものである。それがみつけられるようになると、日々の生活がわりと楽しくなるのではと私は考え生きている。これが今の私の「笑い」に対する結論‥なのかなぁ。あまりまとまっていない気がするが。

友人の日記でちょっとひっかかることがあったところから、あらためていろいろ考える機会をもらった。この場を借りて友人に感謝する。あと、音逃げばかりしてると、おとにゅわ(大人げ)ないよ、と音逃げしてるのはオレか!!でこの項了。