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新春初ゲーム
2002/01/04(金) 02:38 What's Fool? | ゲーム
毎年この時期(正月)になると「初ゲーム」のことを思い出す。
「初ゲーム」とは、その年の干支にちなんだゲームをプレイして縁起をかつごうと、昭和59年からはじめたもので、干支がひとまわりする12年間続けた。当初は「基本的にアーケードゲーム、決めたゲームがプレイできない場合はそれ以外のものをプレイしてはいけない」というルールを決めていた。しかし年をおうごとにそれもいい加減になり、とりあえず「決めたゲームをその年の最初にプレイ」だけは守れたという形で幕をとじた。
以下は、いつだったかその「初ゲーム」のタイトルをまとめておいたテキストファイルを発掘、HTMLで加工したものである。TABLEでゴメン。
年 | 干支 | 新春初ゲームタイトル(メーカー名) | メディア | 理由 |
---|---|---|---|---|
昭和59(1984)年 | 子(ねずみ) | マッピー(ナムコ) | アーケード | 自キャラがネズミ |
昭和60(1985)年 | 丑(うし) | エグゼドエグゼス(カプコン) | アーケード | 隠れキャラの牛 |
昭和61(1986)年 | 寅(とら) | 源平討魔伝(ナムコ) | アーケード | 敵ザコキャラの虎 |
昭和62(1987)年 | 卯(うさぎ) | 源平討魔伝(ナムコ) | アーケード | 敵ザコキャラの兎(琵琶法師の) |
昭和63(1988)年 | 辰(たつ) | ドラゴンバスター(ナムコ) | アーケード | ボスキャラがドラゴン |
昭和64(1989)年 | 巳(へび) | ドラゴンバスター(ナムコ) | アーケード | 敵ザコキャラのヘビ |
平成2(1990)年 | 午(うま) | ガンスモーク(カプコン) | FCディスク | 自キャラの乗り物が馬 |
平成3(1991)年 | 未(ひつじ) | フリッキー(セガ) | MD(ゲーム図書館) | 干支関係なし |
平成4(1992)年 | 申(さる) | ストリートファイターII(カプコン) | アーケード | 干支関係なし |
平成5(1993)年 | 酉(とり) | トリオ・ザ・パンチ(データイースト) | アーケード | 最終面のハト |
平成6(1994)年 | 戌(いぬ) | シャドー・ダンサー(セガ) | MD,マスターシステム | 自キャラの相棒(忍犬Go) |
平成7(1995)年 | 亥(いのしし) | マッピーキッズ(ナムコ) | FC | 敵ザコキャラに猪がいるのよ |
【解説】
- 平成3(1991)年にフリッキーなのは、干支ネタがみつからなかったのもあるが、1月1日午前0時をまわった直後にゲーム図書館へアクセスしたかったから。ゲーム図書館とは、メガドライブの周辺機器「メガモデム」を使用してセンターである「ゲーム図書館」に電話回線を使用してアクセス、ゲームをダウンロードして遊べるという、
先走った当時としては画期的な システム。「休館」という形で幕をとじたので、私は今でも復活する日がくると信じている←ばか。ゲーム図書館で提供されていたゲームの一部は、後に「ゲームのかんづめ」というタイトルでメガCDソフトとして発売された。 - 平成4(1992)年がストIIなのは、もう大熱中していたゲームなのでやむを得ず。「ストII猿」と化していたという意味では干支と関係している??
- 表中の「アーケード」はゲームセンターに赴いてプレイするのが基本だが、平成5(1993)年のトリオ・ザ・パンチは基板を購入して自宅でプレイ。
- 平成6(1994)年のシャドー・ダンサーはMD版とマスターシステム海外版を両方プレイ。
- 干支にちなみたい場合、源平討魔伝がオトク。
そもそも、マッピーにハマっていた頃に鼠年がやってきて、「鼠年ならマッピーでしょ」と思ったのがきっかけである。その時はよかったんだけど、翌年の丑年からもう無理矢理。特にトリオ・ザ・パンチのハトは解説を書かなきゃわかんねぇ〜。でも、同じくかなり無理矢理な「マッピーキッズ」(ななめキックをあげるにゃあ)で締められたのは、マッピーではじまりマッピーで終わったことに妙な感動を覚えたものであった。
はじめた当初、自分としても世の中としても、まさかそんなに長い間ゲームで遊んでいられるとは思ってもみなかったので、やっても2〜3年だなとみていた。が、どうしてどうして自分は今でもゲーマーだし、ビデオゲーム業界は経済界に影響がでる程のものとなった。初ゲームをやめた頃なんかは、今より活気があったような頃じゃなかったかな。
何故初ゲーム‥干支にちなんだ初ゲームをやめたか。その理由はもちろん「ネタがつづかない」が一番だが、「アーケードを(=ゲーセンに)やりに行く」に初詣的意味合いをもたせたかったことが守れなくなってきたのが真の理由かもしれない。家庭用ゲーム機が充実してくるのはいい事だが、それはゲームセンターにあるゲームが変わっていくという意味でもあった。UFOキャッチャー等のプライズもの、大型筐体・といっても音ゲー‥この手のゲームに、当初考えていた初ゲームのポリシーをあてはめるのは難しい。時代の流れと共に、初ゲーム企画は青春の思い出として消えていったのであった。なんつって。
初ゲームに干支を気にしなくなってからもう7年になるが、未だに「こんどは馬だからサターンのデイトナUSA〜」とか考えてしまう。やんないけど。強引でもそうやってゲームをやり続けるという姿勢はあまり変えたくないものである。干支にちなんだ初ゲームをやめてからは、その時やりたいゲームをやっている。今年は‥GBAのスーパーマリオアドバンス2(笑)、アーケードは湾岸ミッドナイト。干支にちなんでなくても、その年の「初ゲーム」を書き留めていくことで、後で見た時にその頃を思い出せていいかもしれない。でも平成8〜13年はもう思い出せないなぁ。