MUE点
暗中模索を続けるシマヤンのWebサイトへようこそ
賛否両論
2000/12/18(月) 20:52 What's Fool? | ひとりごと
先週末、私がいま勤務する会社のインターネット接続回線増速工事の最終作業を行い、概ね完了した。
本作業の計画が発足したのが今年の4月頃。同じプロバイダで増速したら経費も増速(増速とは言わないが)してしまうので別プロバイダを探すところから始まり、様々な検討を重ね方針が決まったのが7月頃。じゃあ専用線引こうと思ったらビルに光回線が通ってなくて、通す管もないってんで配管工事も含め実施したのが9月。実はこれまでのサーバ機がリースアップで切り替えなければならないのでそのへんも一緒にやっちゃおうよと始め、ソフトのライセンスだのを取り直して決まったXデーが11/23。しかしその時は私のチョンボで作業完了できず、大反省&落ち込み(笑)の後いよいよ完了させたのが先週末の12/16。実に9ヶ月にも及ぶ長きプロジェクトが今、終了しようとしているのである。残作業は、接続回線(主にIPアドレス)・サーバ機の変更に伴う不具合が発生した場合の対応と、いままでの回線で制限されていた通信の開放設定などだ。
本作業での私の立場は、発注側の技術的内容のとりまとめ。実際に配管工事したり、サーバ機本体の入れ換えや主な設定を行ったのは私ではなく外部のスタッフだ。こんな担当になった時「ああ俺ってSEなんだな」と改めて思ったりするのだが、我慢できなくて「内部のDNSは私がやりますよ」なんていって自分の作業を作ってしまったりする。こんな時「ああ俺ってやっぱり物作りとかしてたいんだな」と思ったりする。
それはさておき。長きに渡って行ってきたこの作業によって我が社のインターネット接続環境はどうなるのか。細かい改善点は多々あるが、一番大きいのは通信速度が128kbps→1.5Mbpsに増えるということだ。128kbpsでは、社員数や社員各人の業務内容から既に飽和状態であり問題視され続けてきた。それで利用形態や費用の面から1.5Mbpsに決定したが、「はたして1.5Mbpsで速くなるのかな?あんまり変わらなかったらどーしよ」という心配は常にあった。理論上は10倍以上の増速でも、体感できるのはそうでもないことはこの世界でよくあることである。
しかしその心配は杞憂であった。実際に開通した12/15(完了前日には一応アクセスできてた)に自分の端末でWebサイトをいくつか見てみたが、驚くべき速さでダウンロードが完了する。10倍になったか、ベンチマークをとってみた訳ではないので正確なところはわからないが、私の感じた体感速度は10倍を大きく上まわっていた。まぁ、その時(工事中な訳だから)利用者が限られていたことや、数ヶ月間かかった作業の成果がついに出た!という満足感がそういう評価を下したのかもしれない。しかしこれは目に見えてわかる「増速」である。きっと社員一同も私と同じく感激してくれるに違いない。
「シマヤンさん、インターネット速くやりましたね!」
「シマヤンさん、これで仕事もはかどるよ。ありがとう!」
「シマヤンさん、あんた神様だ!」
もし、私がひとたびフロアの片隅で「3年・B組!」と雄叫ぼうものなら、どこからともなく社員が集い、ワッショイワッショイと胴上げされるのではないか。そんな訳ゃあないのだが、私はそれ程皆が喜んでくれるだろう、そう確信していた。
週が明け、全社的に増速・開通となった今日(12/18)。
増速について、確かに数名の社員からは喜びの声をもらった。神様とは言われないが(当たり前だ)、やはり喜んでもらえるのは本当にやった甲斐があったとしみじみ思える。
しかし。実際に聞こえてくる増速への評価は、絶賛の声ばかりではなかった。
「シマヤンさん、インターネット(の速度は)そんなに変わんないんですけど」
「シマヤンさん、ホントに作業したの?」
「シマヤンよぅ、お前はウドの大木だ」
ま、そんなヒドイことは言われてないが、喜びの声だけを期待していた私の耳にはそれ程に聞こえてしまった。しかし何故だ。別に人を選んで増速した訳ではないのに‥。
答えは簡単だった。増速を体感できない人の端末は少々古い型で、Webページの表示性能が回線速度に追いついていないのである。今までの速度(128kbps)がちょうど良いくらいだったのだ。確かにそういう環境で増速を体感するのは難しい。当然自分の席に直接恩恵がなければ、今回の作業に対する評価は低いだろう。本当は全社員の端末も入れ換えてあげたいところだが、予算の都合上そうもいかないのでなんとも辛い立場である。
ネットワーク技術者とは、ネットワーク事業社ならともかくそうでない会社にとっては大いに「裏方」である。そこで回線速度をちょっとあげたからといって、利用者の賞賛を浴びるなんて期待を容易にもってはいけない。喜んでもらえた数名が「ありがとう」と言ってくれた、それに対して逆に感謝すべきであろう。と、なんか説法じみてきたところでこの項了。