さわやか3組第8回「オオカミが来た?」を考える

今回(第8回)の「さわやか3組」は、第5回につづいて謎の残る回であった。


※あらすじ(極簡単)

太一は寝坊して遅刻してしまうが、そこで嘘をついたことをきっかけに嘘に嘘を重ねていく。しかしその嘘のために麻美たちに心配をかけてしまい、麻美たちは太一のために一生懸命働く。

「嘘なのに」とすまなく思った太一は嘘をついていたことを告白。


「オオカミ少年」をベースにした(冒頭の太一の夢の中でオオカミが出てきたり、教室での会話でそのまんま出てくる)話で、非常にわかりやすい展開。利用ガイドにもあったが、視聴対象者(小学校中学年)にとってはよく陥りやすい状況で、同化するという意味でも話し合いにもっていきやすい題材である。


んがしかし、そんなわかりやすい話なのに「オチがない」のである。

終盤。太一が「なくした」と嘘をついた筆(忘れただけなので太一宅にあった)を、麻美たちが翌日朝になっても探してくれているのを見て、申し訳なくなった太一は「ごめん、本当にごめん」と謝る。それを受け麻美は涙をためる(この時の、「嘘だったの?」と泣く麻美の演技は非常に良い〜!)。

次のシーンはいきなり校庭で皆とサッカーをする太一から。サッカーボールを蹴ろうとしてコケる太一を笑いつつも「太一〜ファイト〜」と笑顔で歓声を送る麻美たち。

これでおしまい。「涙をためる」から「校庭でサッカー」があまりに突然なのである。麻美は泣いている訳だから、それがおさまる(=「太一〜ファイト〜」と笑顔で言える)までの過程がもう少し描かれていてもいい筈のところ、全てカットされているのである。(ドラマとして一番大事であろう部分が欠如しているため「オチがない」とさせていただいた)


これを見て、まず「尺が足りないからかなー」といきなり思ってしまう私も私なんだが(爆)、確かに15分じゃ描ききれない部分はあろう。それは今回に限った話ではないと思うが。しかし、この部分をカットするぐらいならもっと別の部分・例えば嘘イベントを1つ減らす等の処置はできたんではないかと思う。そもそも「さわやか3組」みたいな番組で尺云々の問題を視聴者側が納得してはいけない(どの番組でもそうか(^_^;)。

となると、この部分がカットされる=仲直りの過程を視聴者に連想させるということなのだろうか。利用ガイドを読むと、どうやらそういうことらしいのである(「展開を予想する」というより「その時の心情を予想する」とのことだが)。指導のポイントがそこになるのはまぁ納得できないこともないんだが‥「(描かれていない部分を)教室で話し合って下さい」と言われてしまえばそれまでだけど、3組ってそれでいいんだろうか。ドラマの中に一つの回答があって、「それに同意する」「いや私はこう思う」という教室での展開が3組の使い方だと思っていたんだが。


例えば今回の場合。麻美が涙をためたのは(太一とは幼馴染という関係などから)「心配したのに、嘘だったのねコンニャロウ」というある種憎しみの含まれる涙であろう。だからこの後、太一による相当のフォローが必要になってくる。で、麻美に対して信頼を取り戻したとしても、友達広範囲に嘘の影響がおよんでいる訳だから、自然と教室が談判の場になる。そこできっと「許せねぇ!」と主張する者が出てきて、「そーだそーだ」と全体が連鎖的に許さない方向に行く。そこで先生が「でも太一君はこうやって反省しているんだから‥」というフォローが入れたりする。ここでのフォロー役が先生ではなく麻美だったら、許せない派の心も動きやすいし、「思いやる気持ち」を育みやすい。結果太一はクラス全体と仲直りでき、いつものように皆と校庭で遊ぶ‥。

こういった一つの「回答例」があって、その上で「嘘をついてしまった、信頼関係を取り戻すにはどうするのか」「友人が嘘をついていた、友としてどうすべきか」等をあらためて論議しあう、といった展開が3組の利用方法だと思っていたのだが。ここであげたようなストーリー例をはなから連想させるような、3流Vシネマみたいなのは3組のやり方でないと思うのだが‥。


「さわやか3組」は長く放送されている番組だから、その歴史上こういった「視聴者にドラマを考えさせる」ような演出はさほどめずらしいものではないかもしれない。だったら私の、番組のとらえかた誤りだが、もし歴史上から見ても奇異で、実はこれが3組なりの新基軸なんだとしたら、それは個人的に受け入れたくない方向性である。教育現場でそういうものが求められているなら私がどうこう言えた義理ではないが‥。


少なくとも昨年度はこういったことを考えたことはなかったんだけどなぁ。考えすぎかなぁ。今回はわかりやすい内容だっただけに、なおさらキチンと締めてほしかっただけかも。

まぁ〜私は教育者でもなんでもないから、「3組はこうじゃなきゃあかん」という固定観念があって、それが満たされないとこう思ったりするだけのことなんだけど‥こう思うこと自体、ジジィ化が進んでる証拠か(トホホ)。ただ、自分の中で3組っていうのは「わかりやすく、安心して見れる番組」という位置づけがあるから、あんまり悩ましいことはしてほしくないなー、と思った次第。勝手だけど(^_^;。