「評伝 ナンシー関」感想

綾小路きみまろの下に届くという「あらゆる夫婦のエピソード」を読みたい一心で(笑)、NEWSポストセブンのフィードを購読しはじめたら、やたらと 評伝 ナンシー関 「心に一人のナンシーを」 の宣伝記事が目に付いた。これとか。やたらとと言っても2回だけど、フィード購読をしはじめたばかりだったので、余計に気になったのかもしれない。そういうシチュエーションでなかったとしても、「ナンシー関の評伝」となれば、気になることに違いはなかっただろう。で、先週買ってきて、今日ようやく読み終わった(相変わらず本を読むのが遅い私)。

「評伝—」の序盤を読んで‥
「水木しげるについては、ゲゲゲの鬼太郎のアニメ第2期・第3期をなんとなく視ていたくらいで、『妖怪の第一人者』『戦記物』といった極めて一般的な印象しか持っておらず、『ゲゲゲの女房』が朝ドラではじまるにあたり、これではいかん・もっと水木氏のことを知らないと、と、前もって『墓場鬼太郎』アニメをレンタルで借りて視て、すべてがわかったような気になっていた人が、いよいよ朝ドラの原作 ゲゲゲの女房 を読み、水木氏のことをあらためて知りまくる自分に苦笑すると同時に、次女・悦子さんの修学旅行エピソードで一番泣いた」
‥のと同じような感想を持った。ってこの息継ぎできない上に突然水木でゲゲゲな文章はなんだ(笑)。簡単に言うと、(水木しげるにしろナンシー関にしろ)好きだけどそんなに詳しい訳ではない上で読み始め、あらためてその人の一面を知ると同時に、家族の言葉・エピソードに胸を打たれた、ということだ。

ナンシーについては、「評伝—」の著者・横田増生氏がこの本の製作にとりかかる前と同じような向き合い具合だと思う。雑誌に連載されていた頃はよく読んでいたけれども、全網羅はしていないし、ナンシーの著書も持っていない。著者と違うところは、サブカル(特にテレビ関連)について多少なりとも知識や一家言があるというところだろう。私がもし評伝のようなものを書くとしたら、せいぜいナンシーの著書を読み直し、おもしろいところ(多分偏る)をチョイスして、ただただ絶賛するだけだろう。著者は、特にサブカル系に明るくないが故、非常にフラットな文面になっていて好感が持てる。何より調査する項目の量、特に取材した人物の多さに圧倒された。著者本人にしてみればそれが本業なのだから朝飯前のことかもしれないが、対象がサブカルに寄るにつれ、その業の価値は増していく。素晴らしい仕事をされたと賞賛したい。

「評伝—」の内容については、先にも書いた家族のエピソードがまず印象的だった。家族親族は当然ながらナンシー本人ではない訳で、ナンシーの作品からはなかなか見えてこない、ごく一般的な人の言葉で綴られる。「ゲゲゲの女房」における著者(奥さん)が水木本人ではないように、ナンシーの家族もナンシーではなかった。そこに「さぁナンシー(または水木)を読むぞ」という私の勝手な意気込みとのギャップが生じる訳だが、決して負のギャップではなく、むしろ正に働く。そして、泣く(笑)。家族を思いやる言葉とかは素直に泣けるよ。歳とったなぁ。

更に、かなりの量が引用されているナンシーの文章や消しゴム版画で、あらためてその魅力を気づかせてくれる。どんな形であれテレビ番組関連の評をする者で、私と年代が近い人は、何らかの形でナンシーの影響を受けているはずだ。彼女が嫌いじゃない限り(笑)。横綱土俵入りに「雲龍型」と「不知火型」があるように、テレビ評論にも「ナンシー型」があって、そうじゃなきゃ読んでもらえない、みたいな雰囲気さえあるように思う。そんなこたないか。でも、「評伝—」中で何度も書かれていた「ポスト・ナンシーはいまだに現れない」のとおり、「ナンシー型」があるんだとしても、その正当な継承者はおらず、今後も現れないのかもしれない。それほど、ナンシーの書く文章と消しゴム版画は卓越した「芸」だった、ということだろう。

‥私はなんか本を読むと、すぐに難しい表現をしたくなる癖があるんだけど、ノン・ボキャブラリーのため言葉が続かないので(苦笑)このへんにしておく。ナンシーが亡くなって10年、あらためて彼女の偉業とバックグラウンドを知ることができ、身が引き締まる思いである。締まったところでテレビ評とか書く人じゃないけどね私。